【祝・朝ドラ決定!】ファミリア創業の歴史【べっぴんさん】

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ともぴ
2歳の女の子のママです。 可愛いベビー服を通して自分自身の育児が楽しく・幸せなものになった経験から、 ベビー服のセレクトショップ「Maison de joie(メゾン ド ジョワ)」を運営しています♡ 私の夢は、私の届ける「お洋服」で日本中のママさんたちを幸せにすること。 日本中のママさんたちの育児をもっともっとハッピーにすることです!! ■VERY3月号に私のことが掲載されました。
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こんにちは!インポートベビー服セレクトショップ「Maison de joie(メゾン ド ジョワ)」オーナーのともぴです!

 

日本うまれのベビー服ブランドといえば、誰もが知る「ファミリア」。戦後、たった4人の女性たちが神戸から全国のおかあさんと赤ちゃんたちへ・・・と夢を見て創業したのを知ってますか?

 

2016年秋スタートのNHK朝ドラでは、ファミリアの創業者のひとり、坂野惇子(ばんのあつこ)さんの人生をモチーフにした「べっぴんさん」が放送されることでも注目されています。朝ドラファンとしてはとっても楽しみ♡女性のサクセスストーリーって面白くて元気が出てくるので大好きです!

 

でも、ファミリアというブランド名や、ファミリアが朝ドラに取り上げられるということは知っていても、ファミリアの創業者である坂野惇子(ばんのあつこ)さんの人生やファミリアの歴史ってあまり知りませんよね?

 

今回は、そんな誰もが知るファミリアをたった4人の女性で創業し、あっという間に大人気ブランドへと成長させていった坂野惇子(ばんのあつこ)さんの歴史やファミリアの歴史を分かりやすくまとめていきたいと思います♡

フランス発の日本未上陸子供服ブランド「jacadi(ジャカディ)」のセレクトショップをしています♡
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戦後、女性も自らの力で働き、生きていかねばならないことを悟る

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生粋のお嬢様育ち・・・なのに貧しくて生活に困る

坂野惇子(ばんのあつこ)さんは大正7年に兵庫県神戸市住吉で、のちに現在のレナウンの創業者となる佐々木八十八(ささきやそはち)さんの三女として生まれました。(ちなみにレナウンとは年間売り上げ155億円を超える、東京に本社を置く大手アパレル企業です。有名なブランドでいうとランバンやアーノルドパーマーなどを日本で展開しています。)

 

そのとおり、生粋のお嬢様そだちです。学校の登下校にはお供が付き添い、父の経営する会社の派手な洋服を着せられていたことから、小学校時代には「別荘の子」と呼ばれていたんだとか。ご本人はこれを大変嫌がっていたそうです。

 

坂野惇子(ばんのあつこ)さんは21歳のときに夫である坂野通男さんと結婚し、一人娘にも恵まれ、神戸の外国人村(現在の兵庫県神戸市岡本←現在も高級住宅街です。)に家を建てて暮らしていました。

 

しかし、夫が戦争に召集され、また終戦間近にあった神戸大空襲によって岡本にある家は焼けてしまいます。そこで義理の姉を頼って岡山に疎開し、そこで終戦を迎えたのでした。

 

夫は無事に戦争から帰ってきたものの、戦後の混乱から生活は大変貧しく、また夫が「我々は乞食ではない」と言って兄弟や親戚から援助を受けることも禁止したため、生活用品が揃わず、お鍋のふたをお皿代わりにして生活するような毎日だったそうです。

 

 

父や幼馴染に働くこと、自分の力で生きていくことをアドバイスされる

毎日の暮らしに困っていた坂野惇子(ばんのあつこ)さんは、のちにレナウンの創業者になる父・佐々木八十八(ささきやそはち)と、幼馴染であり、のちにレナウンの理事長につくことになる尾上清(おのうえきよし)に今後どうしていけばいいのか相談しました。

 

すると、なんと尾上さんから「今までとは違うのですよ。もう昔のお嬢さんではいけない。これからは自分の手で仕事をし、自分の力で生きていくのです。一労働者になりなさい。」というアドバイスを受けます。また、「働く気になったら、阪神間に出ていらっしゃい。生地でも売る仕事を作ってあげましょう。」という優しい言葉も。

 

また父からも「もう時代は変わってしまったのだ。清さんが言うように、頭を切りかえ、健康にさえ気をつけてくれるのなら、誰も皆、働くというのはいいことだと思うよ。」という助言を受けます。

 

その言葉に驚く坂野惇子(ばんのあつこ)さんでしたが、これからは女性も自分で仕事をし、自分で生きていくのだと感じ、働く決心をしたんだそうです。

ともぴ
お父さんも幼馴染の尾上さんも、戦後とはいえ、あの混乱の時代に女性に働くこと、これまでのようなお嬢さんではいけないことをアドバイスするなんて、時代の一歩先を行っているというか、当時ではものすごく新しい考え方だったんだろうなぁ。

 

 

裁縫や編み物を教えてみるもお嬢様育ちの性格のせいか収入にならず・・・

父や尾上さんのアドバイスに働く決心をした坂野惇子(ばんのあつこ)さんでしたが、やはり生活は苦しいままだったので何かお金を稼げる方法はないかと考えました。

 

家で家事と育児をしながら出来るもの、ということで洋裁を選び、近所の子供の服を縫う仕事や裁縫・編み物を教える仕事を始めました。しかしお嬢様育ちだったためお金を請求する勇気がなく、お礼としてお金ではなく品物をもらっていたので、ほとんど収入になりませんでした。

ともぴ
働いたんだからお金をもらって当然だけど、相手にお金を請求するって勇気がいりますもんね。坂野惇子(ばんのあつこ)さんの気持ち、なんだか少し分かります。

 

 

ハンドメイドのものを売ってみてはどうかと提案される

収入を得られない日々が続き、困った坂野惇子(ばんのあつこ)さんは、嫁入り道具としてもらった未使用のハイヒール6足を売ることにし、神戸三宮センター街の「モトヤ靴店」に行きました。

 

「モトヤ靴店」の店主である元田さんは、坂野惇子(ばんのあつこ)さんの実家に出入りしていた腕のいい靴屋さんで、このハイヒールを作った張本人でした。ですから売らないで欲しいと坂野惇子(ばんのあつこ)さんに頼んだそうです。

 

困った坂野惇子(ばんのあつこ)さんは話のついでに娘の写真を見せたところ、写真を入れていた手作りの写真入れに元田さんは関心して、「こんな手しごとのものを作ってお売りになったらいかがですか。うちの陳列ケースをお貸ししますよ。」という提案してくれたのです。

 

この提案に喜んだ坂野惇子(ばんのあつこ)さんは、さっそく周囲に相談してまわります。そして、この計画はどんどんと進んでいくのです。

 

 

 

手芸店を始めるために頑張る日々

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3人のかけがえのない仲間たち

坂野惇子(ばんのあつこ)さんは、「モトヤ靴店」の店主、元田さんにお店のスペースを貸すから手作りのものを売ってみてはどうかという提案を受け、それを学生時代のクラスメートであり親友でもあった田村江つ子(たむらえつこ)さんに相談します。

 

すると、田村江つ子(たむらえつこ)さんは姉の田村光子さんにも相談してみようと相談をし、3人のあいだで手芸店をやってみようという話がまとまりました。

 

この3人がどうしてやってみようという気持ちになったかというと、3人とも有名な裁縫の先生に裁縫を習っていたこと、裁縫や手芸の技術を身につけていたこと、そして何よりも自分の手でものをつくる楽しさや喜びを知っていたからでした。

 

また、3人がそれぞれ自分の夫にも手芸店を開くことを相談すると、なんと3人の夫はみんなこれからは女性が家でじっとしている時代ではないと妻が仕事を持つことに賛成し、夫同士が集まって手芸店をオープンさせるための具体的な相談まで始めたのです!

 

そしてこの3人にもうひとり、犬の散歩が縁で知り合った村井ミヨ子(むらいみよこ)さんが加わり、女性4人で「モトヤ靴店」のスペースを借りて手芸店をオープンさせるため、商品作りに一生懸命になる日々が始まります。

ともぴ
この時代に、妻が仕事を持つことに賛成するなんて、 旦那さまもすごく理解のある人だったんですね~!女性たちの成功の影には、やっぱり理解力のある男性の存在があることが大きいのかな。

 

 

ベビー・子供服をつくるきっかけ

4人がオープンさせる予定の手芸店、初めはごく普通の手芸店にする予定だったんだそうです。

 

でも、父と夫のアドバイスもあり、坂野惇子(ばんのあつこ)さんは「女性の特徴を活かした、西洋風の新しい育児の知識や経験をもとに赤ちゃんや子供のためのものを作ってはどうかしら?」と考えました。

 

当時、神戸の外国人村に住んでいた坂野惇子(ばんのあつこ)さんは、西洋人の最新の育児方法に興味を持ち、またそれを勉強していました。

 

そんな中で坂野惇子(ばんのあつこ)さんは、日本の育児やベビー服などは時代遅れであり、残念ながら赤ちゃんのことを考えられて作られていないと感じたそうです。

 

そこで、手芸店では服を着る赤ちゃんのことを一番に考えたベビー用品を作って販売すること決めたんだそうです。これが今のファミリアの精神にも繋がっているんですね。

 

 

手作りの上質で可愛らしい商品は口コミで広がっていく

1948年12月、神戸三宮センター街の「モトヤ靴店」のスペースを借りて、ショーケース2台だけの「ベビーショップ・モトヤ」が誕生しました。

 

戦後の日本では、洗えばすぐにダメになってしまうような品質の悪い洋服ばかりが売られていました。そんな中で坂野惇子(ばんのあつこ)さんたちが作るベビー用品は品質も良く、海外の超一流の生地や刺繍糸を使ってとても丁寧に作られていたので、飛ぶように売れたそうです。

 

洗っても色落ちせず、品質のいい「ベビーショップ・モトヤ」の評判はどんどん口コミで広がっていきました。

 

ところが、坂野惇子(ばんのあつこ)さんたちはお嬢様そだちだったため、やはりここでも値段を上手に付けることが出来ず、こんなに売れているのに利益が全然でなかったそうです。

 

なんでも、原価を知ってしまうと罪悪感を感じてしまい、原価より高い値段を付けられなかったんだとか。優しい性格なんですね。

 

それを見かねた「モトヤ靴店」店主の元田さんや坂野惇子(ばんのあつこ)さんの夫から商売についてをしっかりと一から教えてもらい、少しずつ商売のコツを勉強していったんだそうですよ。

ともぴ
あのファミリアを創業した女性だから、なんだかバリバリで気が強い商売上手な女性を想像していたけど、 最初は商売下手で値段も上手に付けられなかったって聞いて、何だか親近感が湧いちゃいました。

 

 

 

ファミリアを創立する

ファミリアを創業する

ついにファミリアという会社が誕生します

「ベビーショップ・モトヤ」をスタートさせてからわずか1年で、坂野惇子(ばんのあつこ)さんたちは「モトヤ靴店」のとなりの店舗を借りて独立することになりました。

 

その直後に「モトヤ靴店」のすぐ南隣にある「レナウン・サービス・ステーション」というレナウンの衣類小売店が大々的にオープンしたものの、すぐに閉店することになりました。

 

坂野惇子(ばんのあつこ)さんの夫は、これを機に「ベビーショップ・モトヤ」を会社組織にし、「レナウン・サービス・ステーション」跡地で商売を本格的にやっていくことを坂野惇子(ばんのあつこ)さんにすすめました。

 

それを受けて坂野惇子(ばんのあつこ)さんは「レナウン・サービス・ステーション」の店舗を借り、そこで株式会社ファミリアが誕生したのです。

 

 

ファミリアの名前の由来

「ベビーショップ・モトヤ」を会社にするときに、会社の名前を決める必要がありました。

 

「ベビーショップ・コウベ」という案もあったそうですが、坂野惇子(ばんのあつこ)さんは神戸だけじゃなく大阪や東京にも進出していきたい、単に神戸のベビーショップでは終わらないぞ、全国のおかあさんたちに愛されるお店にしたいという気持ちがあったそうです。

 

全国のおかあさんたちに愛されるお店が目標だったので、家庭的な雰囲気のある名前にしたいと毎日名前を考えていましたが、ある日偶然会ったフランス人に「家族」という意味のフランス語を聞いたところ、「ファミリア」だということを教えてもらいました。

 

英語にも「ファミリア」という単語があり、こちらは「親しい」「うちとけた」「家族的」といったあたたかみのある意味が並んでいました。これだ!と思った坂野惇子(ばんのあつこ)さんは「ファミリアはどうか」と他の3人に聞いてみたところ、全員が気に入ってくれ、会社名をファミリアとし、新しい店名を「ベビーショップ・ファミリア」に決定したのです。

 

 

神戸から東京へ

ファミリアは設立してまもなく、阪急百貨店との取引をはじめました。ファミリアは阪急百貨店に出店し、またファミリアの洋服も飛ぶような勢いで売れていくので、その実績は関東でも有名になりました。

 

次々に高島屋や伊勢丹にも取引を申し込まれ、ファミリアはあっという間に神戸のいちベビーショップから東京にまで進出したのでした。

ともぴ
ファミリアにいちはやく目をつけたのが阪急百貨店の当時の社長・清水雅さんという方なんですが、この方はファミリアが阪急百貨店だけではなく高島屋や伊勢丹など他の百貨店と取引することも快くOKしてくれたんだそう。むしろファミリアの発展を喜んでいたんだそうです。ファミリアは素敵なビジネスパートナーと出会うことが出来たんですね。

 

 

皇室御用達に

現在の平成天皇の皇后・美智子さまがご懐妊されたときに、高島屋がファミリアのベビー用品を献上することになります。

 

なんと美智子さまは以前からファミリアに興味を持たれていて、直接高島屋を訪れてファミリアの商品を見学されたんだそうです。

 

その際、美智子さまからご質問を受けた坂野惇子(ばんのあつこ)さんは、そのご質問にこたえて、美智子さまと直接会話をした場面もありました。すごいですよね。

 

それ以降、皇室はファミリアからベビー用品を直接購入するようになり、ファミリアは皇室御用達ブランドとなったんですよ。

 

 

 

これからのファミリア

これからのファミリア

時代が変わっても愛情品質を

時代は変わり、ベビー服やベビー用品も色んな選択肢が増えましたよね。

 

でも、ファミリアは「愛情品質」というコンセプトのもと、品質と素材にこだわりぬいて丁寧な縫製を徹底しているんです。それはいつの時代も変わりません。

 

ファミリア創業者の4人が大切にしたきた「おかあさんのきもちになって、ものづくりをしましょう」という精神を大切にし、ファミリアは2016年で創業66周年を迎えます。

 

 

 

まとめ

ファミリアの歴史 まとめ

戦後の混乱の中、少しでも収入を得るために4人の女性たちが協力して始めた手芸店。

 

女性ならではの視点で日本の赤ちゃんのことを、おかあさんたちのことを一生懸命考えて作り出した確かな品質の上品なお洋服は、日本中で一大ブームとなっていきます。

 

今ではベビー服・子供服といえばファミリアというほど日本では圧倒的な知名度と信頼があるブランドですが、そんなブランドの誕生にはこんな女性たちの前向きな努力と、それを大きな心で理解し、支えて応援してくれた男性たちの姿があったんですね。

 

このストーリーがどんな風に描かれるのかな。2016年秋の朝ドラ「べっぴんさん」がますます楽しみになりました♡

 

ファミリアについての更に詳しい歴史に興味を持ったかたはこちらもどうぞ♡

 

 

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